56自動販売機中毒症のようです 1/5 ◆KavOjcXdlc:2010/03/09(火) 18:06:43
この世界から感情が消えてから、もう数世紀ほど経つ。

いや、消えたわけではないのかもしれない。
ただ太古から受け継がれてきたソレとは、まるで違う物だ。

ζ(゚ー゚*ζ「いらっしゃいませ。新しい感情はいかがですか?」

街灯には煌びやかなドレスを纏った女が笑顔を振りまき。
彼女は腕に提げた籠の中身を通りを歩むモノに売り渡している。

この籠の中身、小さなメモリーチップが、現在で言うところの感情。
心の状態を揺り動かすエネルギーである。

ζ(゚ー゚*ζ「いかがですか?」

じっと見つめていると、彼女の柔らかな微笑みが僕を捕らえた。

プラスティックには到底見えない眼球をしっとりと体表液に濡らし、重たそうな睫毛を瞬かせる。

(-_-)「……1つ」

僕は懐からカードを取り出し、認証コードを彼女の差し出すパネルに打ち込んでいった。

ζ(゚ー゚*ζ「暖かいものと、冷たいもの、どちらになさいますか?」

(-_-)「冷たいの。絶望を1つ」

ζ(゚ー゚*ζ「かしこまりました。150ロボッツになります」

57自動販売機中毒症のようです 2/5 ◆KavOjcXdlc:2010/03/09(火) 18:07:30
硬質なカードをリーダーにスキャンする。
ピピ、と確認音の後で、彼女は優しく僕にボトルを渡してくれる。
綺麗な手だ。

透明なボトルの中に、小さなチップが1つ。

ζ(゚ー゚*ζ「ありがとうございます。よい感情を」

笑顔を振りまく彼女に背を向け、僕は自分の住処であるコロニータワーに戻る事にした。
超高層建築物であるコロニータワーは街の随所に聳え立つ。
中はまさに蜂の巣のようなつくりで、六角柱を寝かせたような部屋が隙間なく詰め込まれている。

高速エレベーターの中、189階までの密室で、僕は手の中のボトルを揺らした。
かろん、と小さな音が涼やかだ。その音に、あの自動販売機女を思い出す。

その中身をじっと観察していると、小さな音を立ててエレベーターが部屋に付いた。
このエレベーターは個人利用型だから他のモノと乗り合わせることがなくていい。

蜂の巣状の部屋の電子ロックをカードで解除する。
音もなく開いた空間は大した広さもないけれど、僕だけの空間だ。

ベッドとゴミ箱とテーブルとイスと、コンセントしかない。

クッションを積み上げたベッドに飛び込み、僕はボトルの栓をようやく開けた。
かろんかろんと。
小さな音を立ててメモリーチップが掌に落ちてくる。

早くこれをロードしたいと思うのは、きっと太古で言うところの『うきうきする』という奴なのだろう。

58自動販売機中毒症のようです 3/5 ◆KavOjcXdlc:2010/03/09(火) 18:08:08
チップをつまみ上げて口の中に含もうとした時、エレベーターが到着する音が聞こえた。
顔を上げると、唯一の、といってもいい知り合いの女が立っている。

川 ゚ -゚)「ヒッキー」

(-_-)「君か」

僕もこいつのことは言えないが、大層無表情な女だ。

川 ゚ -゚)「……また感情を買ったな? 中毒になってるんだ。やめろと言っただろう」

(-_-)「違うよ。ただ、感情に溺れているのが好きなんだ」

彼女の視線からチップを守るよう、両手のひらの隙間に閉じ込め、ぎゅっと握る。

川 ゚ -゚)「馬鹿め。それを中毒と言うんだ。どこで買った?」

(-_-)「外の自動販売機」

彼女は首を少し傾げて言う。

川 ゚ -゚)「色仕掛けに負けた、なんて言い訳は無しだ。どうせまた絶望のチップだろう」

スペアのカードキーを持ったまま、彼女はベッドの近くにイスを引きずってきた。
逆向きに腰掛け、こちらに白い手を伸ばし。ああ、あの女の手に、似ている。

(-_-)「何だよ、嫌だって」

川 ゚ -゚)「それは没収だ」

59自動販売機中毒症のようです 4/5 ◆KavOjcXdlc:2010/03/09(火) 18:08:52
(-_-)「嫌だ。ロードするところなんだよ。今回だけ」

ダメだ、と彼女は首を振る。
どうせ問答しても無駄なのだ。
僕は隙を見てぱくりとチップを飲み込んだ。

川 ゚ -゚)「こら」

抑揚のない制止の声がかかる。

体内の空間にチップが落ちて行き、内部のマイクロアームが端子にそれを差し込む。
じわ、と、不安感が冷たい水のように押し寄せてきた。

今回のチップ、絶望的な感情の使用可能期間は3時間。
アラームがぱちんとセットされ、0に向けてカチカチと表示を変えていく。

(-_-)「あ……僕に、構わないで、くれよ……感情嫌いのクー……」

川 ゚ -゚)「ほら、そうやって感情に呑まれて漂うのが中毒者だというんだよ」

彼女の言葉が金属の槍になって僕の体に突き刺さる。
目の前が暗くなっていく。

全てが無駄になってしまった虚無感が。
大切なものを失った喪失感が。
全てを思い知らされた倦怠感が。

(∩_∩)「1人にしてくれ」

60自動販売機中毒症のようです 5/5 ◆KavOjcXdlc:2010/03/09(火) 18:09:33
手元にあったボトルを、彼女に向けて投げつけた。
それは彼女の頬の辺りにぶち当たり、ごつんと鈍い音を立てた。

川 ゚ -゚)「……ああ、仕方のない奴め」

彼女がそっと出て行くと、部屋が余計に暗くなっていった。

窓もない部屋、明かりもつけずに、僕は手負いの獣のごとく寝床に蹲る。

手探りでコンセントの位置を探す。
そこに繋ぎっぱなしのコードを左耳のソケットに嵌める。
充電を開始すると共に、体内で暴れている暗い動物がより残虐な動きを始める。

世界には何もない。
希望も未来も、何もない。

彼女はどこか遠くへ行ってしまう。

ヒトの世話をし、話相手になり、何事も教え育て、その最後を看取る。
僕の存在意義も、すでに意味を成さない。

ああ、僕があの自動販売機の女から暖かい感情を買うことは、きっと永劫ないだろう。

こうして真っ暗なところで、暗く冷たく湿ったところに沈みこんでいるのが。
ただ、ただ。快楽で。

自動販売機の女のように、長時間持続性の感情にもありつけず。
糊口を凌ぐように、少量の感情を貪って。
ぎゅうぎゅうと膝を抱え、今にも泣き出しそうな気持ちを持て余し。
その深い所に溺れる快感に、そっと微笑んだ。


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